建具屋の86歳のオヤジさんが「紺屋の白袴」知ってるかっ?って何度も言ってくるのでその言葉すっかり覚えてしまった。
染め屋さんが自分のには無頓着で白いのを履いてるという意味で医者の無養生と同義語なのだが何を隠そう大工の私も念願だった自分の家を建てる夢がどういう訳かどうでもよくなってしまい
人の家を直したり、買う相談乗ったり。
そんなありさま…。
そんな中で未だにずーっと慣れないのが大量のゴミを出す事と使える物を解体する事。
ゴミではなく、使わなくなっただけの物
物とそれを欲しい人をなんとかマッチング出来ないものかと永年考えている
社会に本音のSDGsはあり得るのか?
つまり感謝すべき本質的贅沢な事はそこに下水道が繋がって、電源が来ていて水道が来ている事、公園の水道から飲める水が出る事だとおもえる。そんな感覚が現代には欠けてしまっている
のだが…どうだろうか?
もしも、高級なキッチンを山のてっぺんに持って行っても使えないのだ。